(前略)
先週野島医院から帰ってきました。二度目の入院です。瑞希はまだまだ自力歩行まで
にはいたりませんが、いろんな意味で飛躍的な成長で、装具をはめて片手をつないだ
らふらふらですが、少しは歩けるようになり、(1歳のころから伝い歩きはしてるん
だけど、なかなかね)
とても嬉しいです。

今回もそうだけど、一生の内で忘れないくらいの、感動、命、いろんな事教わってき
ました。
やはり、私の人生は精神世界に触れるようになってから、素晴らしい方向に進んでい
るような気がしてなりません。

瑞季は、治療後、なかなか劇的にその場ですたすた歩けるようにはなりませんでした
が、(そりゃ、そうですよね、でも、そういう人がとにかく多いもんですから)階段
を上る足が高くあがるようになりました。筋肉が弱いので足を上げるのに、精一杯
だったんだけど、今回それが軽くなりました。片手つないで、私の手にすごい体重か
けて一歩踏み出すのが10秒くらいかかる歩き方で、ほんとに差別用語だけどびっこひ
いてるような歩きかただけど、
前のことと比べると私にとっては夢のような進歩です。もちろん、手を離しては歩け
ませんまだ。でも、そのうち、歩くでしょう。私たち家族の宝物。家族をいつも一つ
にしてくれて、笑いや、優しさや、愛情を一杯くれて、小さいけど凄い力をもった人
間です。

ある他の患者さんが車椅子で暗く青い顔で、来て、先生の治療の後、すたすた歩い
て病室を出て、自分自身でびっくりして、「軽いの!!足が軽いの!!歩ける!!信
じられない」といって、階段を上ろうとして、ふらふらながらも3段くらい上れて、
又本人が一番びっくりしてました。その人は、家でも車椅子か、這いずるように移動
していて、ま
さか、すたすた歩けるなんて信じられなかったらしい。本人に私は直接聞きました。

「ねえ、おばさん、治療の最中に足が軽くなったの?」「そうなのよ!足が軽いのよ
!!でもなにがなんだか、わかないのだわ」って。その次の日もずっと普通にすたす
た歩いてました。

がん患者が、腫瘍が消えちゃって、CT取ったら無くなってて、医者が不思議がる、
というのは、もう、何度も話を聞きました。本人たちから。癌はいちばん簡単みたい
です。もちろん末期になったり再発すると時間かかるし亡くなる人もたくさんいま
す。でも苦しまずに逝き、焼いた後の骨が違うんです。

普通抗がん剤すると、骨はぼろぼろになるのに、すかすかになってないのです。ある
患者の旦那さんと話をしたけど、彼はなかなか信じられずにいたんだけど、骨見て驚
いて少し信じるようになったっ。でもまだ少し揺らいでいる、って。でも、彼、、先
生と会うたびに涙流してるのですよ、、。ほんとに揺らいでるのかしら?彼は安岡力
也みたいな大男で、強そうにしてるけどほんとは寂しがりの人。奥さんが肺がんで、
先日亡くなったのです。しかし、遠隔治療で背中にあったこぶが目の前で半分になっ
たそうです。でも、男は目の前でそれをみても左脳で考えるのであまり
信じられないそうです。ややこしいやっちゃ。もっとシンプルにいけ!!と思ってし
まいました。

そういう人を今回目の前では2人見て(歩けなかった人があるけたり、酸素ボンベつ
きで、入院した末期がんのおじいさんなど)、でも、奇跡みたいなのがたくさんあり
すぎてあまり
驚かなくなってしまった。

いろんな人がいたんです。今回の入院も。

20代で悪性リンパ腫の女の子、すごい美人。おなかが大きいので、赤ちゃんかなと
思ったら腹水だった。

70歳の男性で緑内障が進み、後一歩で光を失いそうな人。

原因不明の病の人。

30代の明るい女性、片足だけ装具してるので、なんだろうと思ったら、骨肉腫で、手
術して、でも、足が変形してるのでそれを直しにきていて、でも全く悲観的な部分が
なく、波動がとても高い人。

トルコからきてる人、山形県からきてるスキルス性の胃がんの人、とにかく、重症の
ひとばかり、でもみんな明るく、すぐ友だちみたいになります。

朝から晩まで一緒にご飯を食べて、治療の合間に出水の鶴の見学にみんなで行ったり
温泉に行ったり、末期がんの人もたくさんいるんだけど、なぜか皆、無理してるので
はなく明るく、まるで合宿所みたいです。夜もずっと手術室で(今は先生は手術をし
ないので、そこはサロンのようになっている)わいわい、消燈までいろんな話をしま
す。病気の話だけではないし、とても前向きで明るい話が多い。

さすがに、末期がんでいろんなところに転移して痛みが激しく起きてられないくらい
の人もいて、とてもつらそうで、も何度も涙があふれました。瑞希にもいつも優しく
接してくれて、暖かく、優しい顔をしていて、笑顔がなんともいえない人なんです
が、高校生の娘が何かと世話をしていて、彼女は大検を取ったらしく学校にいってな
いのです。お母さんの世話で、高校を辞めたんだ、と私は感動していましたが、そう
ではなかったのです。

彼女はいまでこそ、ふっくらしていて、お母さんの面倒を見る優しい娘なんだけ小学
校3年くらいから、自律神経の病気で、抗鬱剤、安定剤が手放せず、拒食症がひど
かったらしいです。

でも、お母さんが自分が末期がんで野島医院に入院したとき、ここは娘も直る!と
思ったらしくて呼び寄せたら(埼玉県の人)娘のほうが先に直ってしまった。完全で
はないけどもう、薬も飲んでないし、普通にご飯食べてた。
というわけで、高校は行きたくてもいけないくらいの拒食症だったみたいです。

でも、今回、お母さんはなかなか直らなくて、先生が「明日帰りなさい。故郷を見
てきなさい。」と言ったらしい。
それはどういう意味なのかはだれもわからないのです。。でも、予想はつきますね。
おばさん、泣いてました。私も
泣いた。娘も、他の患者さんも泣いて落ち込んでいます。みんなで心をひとつして
祈っているのです。「直ってほしい」と。

でも5月に仲良くなった悪性リンパ腫のおばさんもある日、先生に「あなたは、直ら
ないね、フーチ回らないよ」と言ったのです。その1週間後に亡くなった。 瑞季も
たくさん抱っこしてくれたおばさんでした。つまり、先生はお世辞や気休めは言わな
いという人だということが、よくわかる。

でも、先生は、瑞季にも私にも「とてもいい方向にきてる。もっともっと元気にな
る。あなたの(私)魂がとても成長している。子供は(瑞季)100%あなたに影響
される」といわれたのです。大好きな人に誉められたようななんともいえない嬉し
さ。

とにかく人間離れしてる先生で、朝5時から治療始まり、夜の7時まで全く同じ顔で、
ひょうひょうとして、感情の揺れが、全くなく、いつも穏やかに笑っている。でも本
当にことをいう。「あなたは心が汚いから、治療しません、帰りなさい」と言って
帰った人がいました。その人はあきらめず、もう一度出直したら、そのときは先生は
治療してくれたらしいですが。

朝5時半から夜7時まで、休みは食事のみ。延々と人にエネルギ−を首筋から入れ
つづけています。その間に遠隔治療の電話が入り、耳にイヤホンつけて、患者にパ
ワー入れながら、遠隔治療も行います。先生の髪の毛の先っちょは、白髪なんだけ
ど、生えてきてる毛はなぜか黒いのです。不思議だな〜

先生は私に「あなたの魂は成長しています。瑞希ちゃんとともにどんどん成長して
います。もっともっと瑞希ちゃんは元気になりますよ、」云々、嬉しいです。でも、
宗教ではありません。お金もほんとに安いです。食事は全部有機食品である日はマッ
タケご飯がでたので、嬉しいな、と思って大盛りにしてもらったら、後で聞いたら
「先生がふと食べたくなって患者さんも同じのにして」って言ったらしいです。7日
間入院して、朝昼晩おいしいご飯食べて、治療して、瑞希と私(付き添いのふとん
も)で、4万円でした。安い、、。

などなど、不思議体験してきました。
又入院の予約してきてしまいました。今度は少しはやく空いていて3月です。なんだ
か瑞希を直しにいくより、
楽しい魂の合宿に行くようです。
でも、もちろん重症な人たちばかりです。そんな、楽しい、なんていったら、ほんと
はいけませんが。

永木さんのお友だちの飛松さんが腫瘍マーカーが少しあがってきたと思ったら、左肺
に水がたまってきて
私がいる間に1日入院しました。退院してから電話ではたくさん話してたんだけど、
凄い綺麗になってびっくりした。
なんとかまたさっぱり直ってほしいと祈っています。岸さんも(永木さんが一緒に温
泉に行ったお坊さん)少々調子悪いみたいだけど、私が「あーそうなんですかあ」と
気の毒そうに言ったら、教えてくれた人が「でも、岸さんはここでさんざん寿命のば
してもらってるからねえ、もう死んでてもまったくおかしくないはず。今は余命であ
る」とのこと。
普通の人たちがなかなかの死生観をみんながもっています。

着付けのほうは、ほんとにこれもおもしろいですね。フルタイムで働けなくなった
ら、着付けの仕事が
結構くるようになりました。

瑞希のリハビリやら、もし保育園の時期になっても歩かなかったら普通の保育園は行
けないので母子通園、というのになるのですが母も朝からずっと一緒に保育園にい
る)
そうなっても、着付けという楽しみ兼、人に喜んでもらえる仕事があるから、仕事な
くて悶えることがなくて、よかったです。ずうっと続けてきてほんとによかったで
す。

でね、、、今回はもっと凄い事が!!!
野島先生とお酒をのんでしまったのですううううう
ある患者さんが出水のいわしを食べに行こうというので、私もイクイク!!と言って
子連れだけどさっさと
車に乗り込み夜飲みに言ったのです。

私はまったく知らなかったんだけど、その日はある患者さんが54歳で会社をやめて
将来野島先生の手伝いができればいいということで、鍼灸師の学校に通う事にナリ、
そのお祝いの席で、野島先生にもだめもとで誘ってあったらしいです。
入院中にもかかわらず内緒でみんなぐびぐび飲んでて、そしたら、ひょっこり、先生
が顔をダシタノデス!!
もう、びっくりして、みんな泣いてるの。。。それにもびっくりしたけど、58歳の安
岡力也みたいな人も泣いてるの!!凄いね、、、

さっそく私は遠方という事で隣に座らせてもらい、楽しいお酒でしたよ!!
先生はかなり強くて、勧めたら必ず飲む、律儀なお方でした。私は穴があくほど
顔を見つめてしまったけど、相変わらず先生は、ひとつも変わりません。
でも次の日、朝遅刻して診察室にいらっっしゃいました。やはり人間なんだ。

というわけでだらだらと書いてしまいました。読んでくれてありがとう。
1月11日に大阪で講演会があるの。永木さんもしよかったら、来ない?残りあとわず
かみたいよ。

では、うどんやさんや、旅行、女の人、いろんな楽しいこと、して遊んでね!!
また会いましょう。
それから、亜麻にオイルまた送ってほしいのです。まだ販売してますか

遠藤麻美

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