第2章 ニューヨーク編

1月12日

 初めてのニューヨーク。観光地名所に行くのもいいが、その辺を歩くだけでも十分満足なので、ブロードウェイを南に歩く歩く。地下鉄代を浮かすだけでもいいかな。

 日本では全く見慣れない風景。レンガの建物がずらりと並ぶ。ニューヨークの歴史を感じるな。肌の露出してる部分がちくちく痛い。おそらくマイナス5度以上あるだろう。

 お腹がすいたので、ホステルの自販機で買ったチョコレートを食べる。とても脂っこい。なんだか甘いバターを直接食べてるようで後味が残って気持ち悪い。

 2時間ぐらい歩き続けてタイムズスクエアまで出る。ここまでくると疲れて、しかもお腹もペコペコ。そして目の前にマクドナルドを発見。ここなら英語を知らなくても注文できそうな気がしたので入った。

 さすがに店内の雰囲気は日本と全く同じで安心できる。店員がアメリカ人なだけの違いみたいだ。セットメニューが豊富にあって、ナンバーを言えば、ドリンクとポテトが付いてくる。ビックマックセットが高かったので、2チーズバーガーセットを頼む「ナンバー2」と言うだけでOK。精算もデジタルで表示されるのが嬉しい。店員がなにやらしゃべった。よく分からないような表情をしてると、袋入りのケチャップを見せて、「これはいるか?」と言ってるらしい。ケチャップをもらう。2つのチーズバーガーとMポテトとMドリンクが付いて5ドルぐらい。東京とあまり変わらないかも。ちなみにアメリカのMサイズは日本のLサイズぐらいある。

 アメリカのハンバーガー屋さんでは、省力化の為に紙ナプキンとストローは、自分で取らないといけない。さすがマクドナルド、どこで食べても同じ味だなー。

 地下鉄に乗り込み、マンハッタンの一番南まで行って自由の女神像のある島まで行くフェリーに乗る。自由の女神は中に入っていくことが可能で台座には自由の女神の歴史が展示してある。すべて無料で展望台(冠の部分)まで階段で歩いていける。ここだけはシーズンオフなのにたくさん人が並んでいて、なかなか上までたどり着けない。階段はだんだん狭くなってきて、一人で通るのが精一杯にまでなる。階段にはここへ来た人の落書きがたくさんしてあって、自分も何か書きたかった。でもそれより、忘年会のOFF会のプリクラがあれば張り付けたかった。アメリカにはプリクラ無いから驚くだろうな。指名手配されなきゃいいけど・・・・。

 帰りの地下鉄の車内で突然黒人の3人が歌い始めた。とても上手でボーイズツーメンのような澄んだ歌声。しかも振りまで付けて見事としか言いようなかった。ギターもピアノも彼らには必要ないだろう。それが終わると目の前の白人が拍手をした。他にも何人か拍手した。俺も拍手したかったけど、いきなりのことに驚いてじっとしていた。するとその黒人達は紙袋を持ってチップを集め始めた。5人に1人ぐらいがコインを入れる。もちろん前に座っていた白人もだ。俺は入れなかったが、貧乏人だし驚いたりでとても入れたかった。ボーイズツーメンもきっと有名になるためにはこういう時代があったんだろうなと思った。

 ホステルに帰って、食堂に行くと日本人が3人話をしていたので入れてもらった。女の子もいる。日本語が使えることに感動したのは初めてだ。

 上の階のテレビルームにも日本人が2人いた。2人は一緒に旅をしているようだ。ここは日本人が多いな。

 しばらくすると、下の階から黒人警官が5人もあがってきた。日本人の彼らが「What happen?」(何かあったの?)と聞くと、大げさな手振りで「BOMB!○×@□!」と、言った。笑いながら言ったので冗談と思って、黒人って面白いなぁと思ったけど、後で考えるとどうしてホステルの中に5人も?・・・・。

 自宅にニューヨークに着いた事を報告しなくてはならない。海外旅行のガイドブックに日本への電話方法が書いてある。それを片手に電話をかけるが、やり方がさっぱり??コレクトコールの仕方が電話機にあったので0をダイヤルしてオペレーターを呼ぶ。相手はもちろんアメリカ人だ。「ハロー」までは聞き取れたが、それ以降さっぱり分からない。「コレクトコールプリーズ」と言ったけれど、それを理解したのかしてないかも分からない状態。向こうが何か言ってきたけど「あいどんと、あんだすたんど」を連発する。自分が情けない。

 そしたら、「Are you Japanese?」と聞いてきて「イエス」というとしばらく待った後に日本語オペレーターに替わった。最初から日本人だせー!!。今度からは「じゃぱにーずおぺれーたー、ぷりーず」と言おうと固く誓った。

 日本人に替わってからスムーズそのもの。地獄に仏とはまさにこのこと。でも、家には誰もいなかった。

1月13日

 朝、ホステルの電話連絡掲示板を見ると、インターネットで泊めてくれることを約束してくれたデイビーさんが昨晩電話してきた事が書いてあった。(あらかじめ日本を出る前にインターネットのニュースグループという電子掲示板の旅行や料理のコーナーに「アメリカを旅するので誰か泊めてください。お礼にたこ焼きを作ってあげます」というメッセージを書いて置いたのだ。デイビーさんはそのメッセージを見てメールを送ってくれた中の一人)ユースホステルでは外部から電話があった場合直接つないでくれない。そのかわり、簡単なメモが掲示板に張り出される。メモを見てホッとする。

 連絡が無かったらワシントンDCに今日出発する予定だった。なぜなら、ニューヨークのユースホステルは1泊22ドルと他のユースより10ドルぐらい高い。

 メモに書いてあった連絡先に電話する。相手はもちろんアメリカ人だ。周りに誰もいないのを確認して公衆電話をダイヤルする。また英語かよぉー。ダイヤルする前にメモに最初になんて言うか書いておく。さあダイヤルだ。深呼吸。ハァー。プッシュボタンをいくつか押す。怖くなって受話器をすぐさま置く。はぁーっ。何でこんなにドキドキするんやぁー。何て言ったらいいんだろう。きっと惚れた女の子に初めての電話するときと同じ気持ちなんやろね。

 数分考えた後、勇気を振り絞って電話する。(このときのドキドキはのちにするスカイダイビングで大空に飛び出す直前なみだった)

 デイビーさんってどんな人かな。わくわくする。危ない人だったらどうしよう。

 電話が繋がった。

相手「Hellow」
俺 「ハロー」「イズ ディス ザ デービークルース?」
相手「Yes」
俺 「アイアムジュンイチ」
相手「○×△▲」
俺 「イズ ディス ザ デービー?」
相手「вЯ♀●△〒〇」・・・・・
俺 「アイアムジュンイチ」「ジャパニーズ」
  「アイワントステイ」・・・・・・
相手「Hellow」
    何度か繰り返す

 話しているうち、相手がデイビーさんじゃなくデイビーさんは仕事に行ってる事が分かった。連絡先を聞いてきたのでユースの番号を教えてあげた。訳も分からずとりあえず電話を切った。

 仕事先の電話番号はあらかじめ知っていたので、そっちにかける。デイビーさん以外の人が電話に出たらどうしよう・・・

 運良く電話に出てくれたのがデイビーさんだった。自分がジュンイチだということを告げると、なにやら言って来たがまたも「あいどんとあんだすたんど」の連射。でもなんとか、単語単語の間をあけてゆっくり言ってもらって、何とか少し理解できた。仕事が終わったら迎えに来てくれるそうで、今日の午後6時にユースの前と言うことで約束する。向こうもこっちも意志を通じさせようと必死。今日の午後6時という言葉を何度も何度も繰り返し確認した。たったそれだけのことを話すのに10分以上はかかってしまった。

 6時まで暇なので近くの図書館に行く。図書館ならインターネットが出来るかも知れない。着いたらまだ開館していなかったのでそばの電話で家に電話する事にした。今度はちゃんと日本語の本で国際電話のかけ方を勉強したので大丈夫だ。市外電話や国際電話は最初にダイヤルして、聞こえてくる金額を入れる方式になっている。 011−81−89−973−××××と押す。すると聞こえてきたのが「テゥエニーなんとかクォータープリーズ」で、つまり二十何枚のクォーター(25セント硬貨)を入れろと言うのだ。そんなに持っているわけがないじゃないか。カード方式にせい!。でも確かユースの中にテレホンカードの自販機があったので電話をあきらめる。

 図書館が開いて中に入るとインターネットが出来るコンピュータがあった。ノンカウルの掲示板に接続。文字化けの嵐。漢字に対応しているパソコンがあるわけないか・・・・・・。

 デイビーさんが迎えにくる約束の時間が近づいたのでロビーで待っていた。すると職員が、「日本人か?おまえに電話だぞ(英語)」と言って電話に出るとデイビーさんだった。数分間の格闘の末、仕事が遅れるので7時になるという事を伝えたいのだと分かった。

 お昼を食べにハンバーガーとホットドックに飽き飽きして、チャイナレストランに入った。レストランだけあってテーブルにはナプキンとナイフとフォークが置かれている。なんだか高そうだな。メニューを見てラーメンが食べたくなったので、チャーシュー麺みたいなのがあったのでメニューを指さして注文した。しばらくして出てきたのはチャーシューだけ。それもお皿に山と盛られている。しまったぁ。チャーシューだけでは口の中が油だらけになるのでライスも追加した。なんて量だよ、それにこってりと付いたたれが甘ったるい。食べながら周りの人を観察して、払いの仕方やチップの置き方を勉強した。ガイドブックに載ってたとうりだな。チェック(勘定)をお願いして金額を見ると10ドル近い。1ドル札をテーブルに置いてカウンターに支払いに行く(本当はテーブルにいたまま支払う)。現金の手持ちがなかったのでトラベラーズチェック(以後T/C)で支払おうとしたら断られた。でも、英語が分からないのと、それしか持ってないと言ったらOKしてくれた。チャイニーズレストランではT/Cは駄目らしいのは本当だ。

 俺はユースに戻ってデイビーを待った。7時になった頃、突然「ジュニチ」と呼ばれて返事をすると、「カモン、カモン」と勢いよく白人の美人系のおばちゃんに車に乗せられた。

 簡単な自己紹介の後、デイビーさんは自分の仕事や家族のことや趣味のことを話した。仕事先には毎日往復300マイルも走っていること、家族は3人で馬や犬や猫やオウムなどたくさん飼っていること。スキーのインストラクターをやってることなど。何故か対面して話を聞いているととても話が分かる。電話では一言でも、なかなか伝わらなかったのに。どうしても分からなければ、話題を変えていることもあるけどね。とてもいい人だし、意志も何とか伝わるしで安心した。

 1時間以上走るともう周りの風景が田舎になってきた。峠道を抜けて凍った湖のそばを少し走るとそこにデイビーさんの家があった。

 アメリカ人の家に入るのは初めてだ。玄関前にはクリスマスツリーに使った木とバーベキューコンロがあった。玄関には「101匹わんちゃん」の旗が掛けてある。このあたりに住んでいる人はみんなセンスがいい。家の中はログハウス調で暖炉のあるリビングとベットルームと4畳半ぐらいのロフトがあるだけの小さな家だ。

 旦那さんと子供を紹介してもらった。旦那さんはやさしそうな黒人で子供は小学生で白人だ。家に電話をかけたときに出たのは旦那さんだった。

 夕食は仕事が遅かったので、自分と会う前に買っておいた中華の総菜だった。いきなり中華とは、気を使ったのかな?。

 そしてさらに家族の紹介。ポメラニアン

黒に白が少し混ざった中型犬(名前はティファニー)がさっきから家の中を走り回っている。さらに奥に2匹の黒い大型犬がいる。4匹が走り回ったら動物園の檻の中かムツゴロウの家みたい。

さらに猫2匹がいて大きなオウム(ズース)がデイビーさん腕の上で踊り出す。白いオウムだけど、とさかの部分だけ黄色いのが格好いい。オウム他にもよくしゃべる奴と噛む奴など、5羽以上いる。リビングは12畳ぐらいの広さなのにその中に全部いるわけだ。

 動物たちと遊んだら、寝る時間になった。シャワーを浴びて、その部屋のソファーベットで寝る事になった。電気を消しても犬たちがなかなか寝てくれない。そばをバタバタ走っている。明日からもどうなることやら・・・・


1月14日

 犬が顔をなめてきたので目を覚ました。そんなの初めてだ。布団が重いと思ったら猫が寝ていた。この猫がペットの中で一番なついている。旦那さんが朝の5時頃に会社に出掛ける。デイビーさんは6時頃だ。まだ暗い。どっちも通勤には2時間ぐらいかかるそうだ。東京人も顔負けの人達だ。

 そして息子のライアンが小学校に行った。すると家の中の動物達は家族が出掛けていったので新顔に恐がって急に一斉に吠え出す。勘弁してくれよぉー。仕方ないので一緒に吠えてみる。でも効果なし。しばらくしたら疲れて静かになった。

 朝食はシリアルに牛乳をかけたものだ。これじゃお腹すぐにすいてしまうな。テレビのコマーシャルで一番多く見かけるのがシリアルだ。アメリカ人のほとんどは朝食はそれで済ませているのだ。あんなでっ体なのに朝食はお膳に一杯分のカロリーもない。でも栄養バランスはいいけどね。

 自転車を借りてサイクリングする。凍ったところを避けながら、湖畔を走る。美しい湖畔だけあって、ほとんどの家はボートを所有している。クリスマスの飾り付けを残しているところが多くて、とても生活にゆとりを感じる。

 湖のそばの公園に着いた。ここではフリスビーを使ってゴルフのような遊びが出来る。でも冬なのでかたずけられていた。湖の氷は犬が乗って大丈夫なぐらい。人間は無理だな。とても静かなところでしばらくぼーっとする。

 お腹がすいたので、昼御飯を食べに町へ向かう。町は湖の反対側ここから北へ12マイルはある。手持ちのお金は現金で6ドルしかない。トラベラーズチェックを持っているけれども果たしてこの田舎で使えるかどうか。

 1時間以上自転車に乗ってようやくチャイニーズレストランをみつけた。お店は小さくてテイクアウトがメインのようだ。お店に入り、メニューを見せてもらうと意外に高い。焼きそばが6ドル〜する。これでは消費税(ニューヨーク州は7%ぐらい)が払えない。仕方ないので、お店の人にT/Cは使えるか聞いたけど駄目だった。「I want someting to eat. But I have six doller.」と言うと焼きそばを6ドルちょうどにしてくれた。中国人から値引きするとはなかなかやるもんだと思った。

 焼きそばはアメリカ人向けなのでたっぷりと2人前ぐらい出てきた。ソース焼きそばだったけど、そばがカリカリに焼けてなかったのでちょっといまいち。ともかくお腹一杯になった。

 家に戻ってテレビを見る。アメリカは番組が多い。デイビーさんの家では30チャンネルぐらいだったけど、有料チャンネルを合わせたら100チャンネル以上ある。日本の深夜に放送されている通信販売だけのチャンネルや、CNN、ABC、MSNBCなどのニュース専門、他に動物専門、子供専門、日曜大工専門、映画専門、ビデオクリップ専門、園芸専門、数え上げたらきりがない。なるほど、チャンネルから手が離せられない人が多いわけだ。どっちにしても全部英語なのですぐに飽きる。ちなみにラジオも同じようにジャンル別に別れている。

 4時頃にライアンが学校から帰ってきた。一緒にNINTENDO64のスターウォーズをやる。宇宙船のドックファイとやポリゴンシュミレーションなどあってなかなかの傑作だ。

 電話がかかってきて、これからライアンの友達が来るらしい。今日はそこに泊まるそうだ。しばらくすると、目のぱっちりした30代ぐらいの人がやってきた。その人と自分は自己紹介をして、ライアンは一緒に出ていった。

 そしてデイビィド(旦那さん)が帰ってきた。ライアンはどこかと聞いてきたので友達のところで泊まるそうだというと、目のぱっちりした奴かと聞いてきたのでそうだと答えると、納得した。なぜか一瞬寂しそうな顔をしたように見えた。

 デイビィドにアメリカのトランプゲームのCASINOを教わる。足し算を使うゲームでなかなか面白い。

 デービーが帰ってきた。夕食を食べてデービーがこれから出ていくので一緒に来ないかと聞いてきたので行くことにした。どこに行くかと聞いたら、前の夫の所だという。びっくりしている間に着いてしまった。すぐ車で5分の位置にある。

 中に入るとライアンがいた。どーいうわけなのだろう??アメリカってオープンなんだなぁと日本とのあまりの違いに驚く。後でサンフランシスコの友達に聞いた話だが、離婚した時に子供がいた場合、子供の適正な人格形成のために、子供を預かったほうは1ヶ月に1回は本当の親に会わせなければならないという法律があるそうだ。アメリカでは離婚しても彼氏、彼女と「別れちゃったよー」というぐらいだそうだ。だから結婚式に前につきあってた彼女彼氏がいても普通らしい。

 長居はせず、家に帰る。鳥かごからオウムを出してきて、デイビーは物まねをさせて遊んでいる。小さなオウムはデイビィドのトランプをかじって穴をあけている。家は大きな鳥かご状態。

 デイビーが使っているパソコンを見せてくれた。インターネットは最大手のアメリカオンラインを使っている。最近パソコンの調子が悪いそうで、アメリカオンラインにアクセスできなくて困っているそうだ。デイビーさんへ最後に送ったメールの返事が来なかったのもそれが原因らしい。自分はパソコン得意だからといってさわらせてもらった。WIN95がセーブモードになっている。そばにスカンクがいる。スカンクといってもシマシマ模様じゃなくて小さいイタチみたい。鼻を近づけるとやっぱりにおう。

 デイビーは諦めて寝た。自分は諦めずにやってると原因が判明した。CONFIG.SYSとAUTOEXEC.BATが設定してある。DOSゲームようの奴だ。これを削除して完了。それにしても英語WIN95をよく何とか出来たな。

1月15日

 また今日も犬が起こしてくれて、猫は相変わらずおなかの上で寝ている。たぶんここの家族にしてみれば自分はペットが一匹増えたぐらいにしか感じてないのでは。

 パソコンを修理できたことをデイビーに言ったら喜んでくれた。そしてデイビーは熱心にニューヨーク市の観光名所を教えてくれた。でも、自分はサンフランシスコの友達の所へ2月初めに着かなければならないので、長居は出来ない、明日の朝にワシントンに向かうと言った。デイビーは残念そうな顔をしていた。もっと長居すると思っていたようだ。昨日会ったときに言っておくべきだったな。

 手持ちの現金が底をついたので、銀行にT/C(トラベラーズチェック)を両替しに行く。またもや6マイルも自転車で銀行まで走る。この辺の人は絶対に車いるな。バスはあるけど1時間に1本だ。

 銀行に行って、「チェンジプリーズ」と言って替えてもらった。手数料は取られない。しかし「チェンジ」という言葉は使いにくい。小銭も「チェンジ」だし、交換も「チェンジ」と言う。「小銭に換えてくれ」いう場合はどうなるのだろう。50ドルを現金化した。

 お昼ご飯や生活に必要なものを探しに、マーケットに行った。そこはホームセンターのような店で、食品はジュースやガムなどしかない。そこで、タオルを購入する。人目がとても気になる。このあたりには地元の人しかいないし、アジア人なんて一人もいない。

 結局昼食はまた朝食のシリアルで済ませる事になってしまった。レストランもあったのだけど、怖くてやめた。

 ライアンが帰ってきてテレビゲームをする。話すことが、出来ないので「OH!」とか「Ah」とか言ってみたりするだけだ。英語使いたいよぉ。

 夕方になってデイビーが帰ってきた。夕食の用意を始める。今晩でお別れだから特別なものを作るようだ。ライアンがにテーブルクロスを敷き、ナイフとフォークを奇麗におく。アメリカの家庭では、しつけをしっかりしていると聞いたが、まさにそれを見たと思った。

 自分も何かしたくて、ジャガイモの皮をむいていた。後で思えば、自分は今日の食卓では客なのだから、しない方がいいのかなと思ったけど、料理好きの体が勝手に動いてしまう。そして、アメリカ式の料理の作り方を見ていた。

 今晩の料理はステーキとジャガイモを茹でて潰したものと、ニンジンとブロッコリーだった。盛りつけが美しい。みんなが席につくと、デイビーが話をするようにというような目配せして、自分はノートに書いて覚えていた英語を下手くそながらも話し出した。

 「I go to Wasinton tomorrow. I had a ・・・・・(単語を忘れてライアンがグットと言う)good time. I never foget you.」  デイビィド(旦那さん)が何か笑いながら言ったけど、よく分からなかった。そしてご馳走を食べる。

 アメリカでステーキを食べるのは初めてだ。確かに、赤身が多くて固そうだ。でもボリュームたっぷり。お肉にナイフを入れる。ギザギザが入っていかにも切れそう。日本のレストランにあるようなものでは、スジを切るのに一苦労だろう。

 一片を口の中に入れる。なかなかいい味だ。しかし、口の中で肉が噛んでも小さくなってくれない。とても固くて歯では切れない。一苦労して喉に押し込んだ後は、もっとナイフで小さく切ってから食べた。アメリカステーキの噂は本当だった。

 食事を済ませた後、またデイビーがどこかに連れてってくれるという。今度はどこだろうか? 車に乗って近くの不動産屋さんに着いた。デイビーは家を探している。今の住まいは賃貸で、しかも小さいから引っ越すそうだ。いろんな写真を見せてくれる。全部湖畔に建ててあっていかにも大きそうな家だ。3ベットルーム3バスルームとか言ってる。こんな豪邸でも日本よりずっと安い。豪邸といってもこの辺では普通だと思えるのが不思議だ。

 アメリカの家はバスルームがいっぱいある家があるけれど、ほとんどのアメリカ人はシャワーしか使わないそうだ。洗い場がないので浴槽の中でしか体を洗えないし、お湯があふれると、排水溝がないので床がびしょびしょになる。バスルームには必ず洋式トイレ付いている。お風呂場がいっぱいあるというより、シャワー付きのトイレがいっぱいあると思った方がいい。

 その不動産屋さんでバスのタイムスケジュールをもらう。そして、友達の家に寄る。その友達の家には入っていきなり背の丈ほどのクリスマスツリーが見事に飾り付けられていた。子供が3人いて、一番小さな女の子はまさに西洋人形みたいでとても可愛らしい。その娘が自分の相手をしてくれた。ソファーに座っていたそこの奥さんと旦那さんを紹介してくれた。英語も使えないのに70日間も旅をすると言ったら驚いた。アメリカ人もびっくりとはね。

 家に帰る途中にヒッチハイクをしている人を見つけてデイビーが声をかけた。家の近くの人なので知ってるそうなそぶりだった。でもすぐ近くまで帰るだけなので、その人は断って別れた。日本でも、外人がヒッチハイクをしている姿を見かけることはあるけど、アメリカに来てからは初めて見た。普段からちょっとしたことでもヒッチハイクしているらしい。俺もすることになるのかなぁ。

 帰って動物と遊んで寝る。彼らと遊べるのも今夜で最後だ。

 それにしても、約束していたたこ焼きを作ってあげられなかったのが残念でならなかった。(ちなみにタコはオクトパスだと言ったら困った顔をしていた。普通のアメリカ人はタコを食べ物だと思っていない。)せっかくたこ焼きのプレートまで持ってきていたのに。


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