第3章 ワシントン編

1月16日

 今日はたくさん雨が降っている。暖かい日なのだろう。デイビーに車に乗せて貰ってバス停まで行く。バスが来たので別れを言い、大きく手を振りながらバスに乗った。またいつか会えるような気がする。家に帰ったらすぐにインターネットでメールを送ろう。インターネットの世界ならご近所に住んでるのと同じだ。

 ニューヨーク行きバスの最前列に乗る。このバスは先に運賃を払うようになっている。バスの運転手が$7.70といい、支払う。本当は降りる場所を言わないといけないのだが、旅行者風に見えたのか、ニューヨークと分かったようだ。のんびりと田舎の道をあちこち停車しながら進む。

 ニューヨークに着いた。着いたところにワシントン行きのグレイハウンドバスターミナルがある。グレイハウンドバスは全アメリカ合衆国とカナダを網羅していて、長距離バス会社の中では最大だ。その会社のアメリパスという30日間パスを日本で買っておいた。

 そのアメリパスを今日初めて使う。今日1月16日だから、2月16日まで何度でも利用可能だ。グレイハウンドバスのカウンターを見つけてワシントンに行きたいことを告げて、アメリパスに今日から使い始めることをチェックしてもらった。

 ここのバスターミナルはそれ自体が大きなビルになっていて、グレイハウンド以外にもたくさんの会社が入ってきているので、目的のターミナルを見つけるのに30分ぐらいかかった。

 ニューヨークのグレイハウンドバスターミナルはあらゆる都市へリンクしているだけあってかなりの大きさだ。警官がトイレの前に立っていて安心できる。逆に言えばそれだけ危険な所なのかも知れない。バックパックをしっかりと持ってトイレに入る。

 ワシントン行きは一番乗客の多い路線だけあって客がたくさん待っている。それでも、1時間ごとのスケジュールだ。軽量化のためのステンレスむき出しのバスに乗り込む。ワシントンまでは4時間だ。

 バスは日本のバスよりも幅が広い。窓にはカーテンはなくかなり濃いめのスモークガラスになっていて、景色が暗い。乗客は様々な人種が入り乱れているスペイン語のような言葉も聞かれる。その中に一人旅風のモンベルの黄色いジャケットを着た日本人のような人がいる。

 相変わらずの雨で景色が悪い。広いまっすぐなハイウェイをひたすら走る。ハイウェイを降りてワシントンDCの市内をバスは走る。途中にとても雰囲気の悪いところを通過する。いかにも夜中に歩くのは危なそうな所だ。ワシントンDCに限らず、大都市では治安の悪そうな所と良さそうなところの雰囲気は全く違っていて分かりやすい。アメリカ人が日本はどの場所が危ないか分からないと言っているが、それがよく分かる。

 その近くがグレイハウンドバスターミナルだった。グレイハウンドは経営危機に陥って地価の安いところにターミナルを移したと、本で読んだが、その通りだ。

 ワシントンDCに着いた。ワシントンはアメリカではストリート名や地名などによく使われる。ワシントン州とワシントンDCは全く違う。ワシントン州は西海岸の最北だ。勘違いしている日本人も多いだろう(俺も間違った)。DCは特別区として50ある州とは違う。どう違うのかはよく分からない。連邦の直接統治と言うことだろうか。

 バスを降りる。荷物が小さなバックパック一つだから、盗難の心配もほとんどないし、荷物を預けて職員に手荒に扱われる事もない。(実際預けた荷物に座っている姿や、投げ込んでいる姿をよく見る。預けるときは壊れやすいものを入れるべきではない)

 ターミナルの中でバスで見つけた日本人らしい人に声をかけた。「地球の歩き方」がポケットからはみ出ているので確かだろう。「日本の方ですか?」と言ったら、やっぱり日本人だった。一人旅をしていて同じユースホステルに泊まるそうだ。一緒にユースに行くことになった。このまわりは物騒な地帯のように見えたので安心した。

 2人でユニオンステーションまで歩いていった。そこに地下鉄の駅がある。ワシントンの地下鉄の切符はプリペイドカードになっていて自販機にいくらかのお金を入れるとその分地下鉄に乗ることが出来る。ワシントンDCの地下鉄はとてもきれいで落書きは見当たらない。俺はアメリカのユースホステルの日本語ガイドを持っている。そのユースホステルガイドブックに書いてあった駅で降りる。その駅から北に4ブロックだ。

 降りたところはビル街だった、とても安全そう。1ブロック北に進むにつれて建物は低くなり歩道の痛み方が悪くなっていく。壁に落書きしてる所もある。もう1ブロック北に進むのは夜は危険だなと、いうところにユースホステルはあった。

 チェックインを済ませて部屋に行く。ワシントンDCのユースは人気なので満室かどうか心配だったが、シーズンOFFなので予約なしでも大丈夫だ。一緒にきたもう一人はユースホステルの会員証を持っていないのでここで申請するようなのでそこで別れた。部屋は2段ベットが5つある。ペンキがまだ新しく清潔そうな部屋だ。ユースホステルはどの壁もコンクリートで厚くペンキが塗ってある。白が基調でドアが赤や黄色や青の単色になっている。まだ日が落ちていないので早速中心地に行く。

 DCはとても寒い。バスで4時間も南に来たのにもしかしたらニューヨークよりも寒いかも知れない。道ばたに地下から何かの排気口があってそこから蒸気が出ている。よく見るとホームレスが蒸気の中で寝ている。温かいのだろうな。

 ワシントンモニュメント(一番目立つ白い柱のような塔500feetある)を目指して歩いていくにつれてギリシャの建物のような立派な石柱をふんだんに使った建物が多くなる。どのビルも京都のように高さ規制があるのか、横に広いが高さは低い。東京でも同じような建物はよく見かけたが、さすがDC明らかにその比ではない。20分ほど歩いてワシントンモニュメントの間近に着いたが、夕方になったのでユースに帰る。

 帰って夕食なのだが、食料品店がなかったのでユースの中の売店で日清カップヌードルとヨーグルトを買う。カップヌードルは結構どこにでも売っている1ドルぐらいだ。ヨーグルトは胃腸の調子が良くなるので2日に1個は最低食べている。

 日清のビーフ味の袋麺を2階のキッチンで調理する。鍋、スプーン、ナイフ、フォーク、皿、コップなどがたくさん置いてある。4つ口のオーブン付きの大きなコンロが4つある。

 カップヌードルが出来上がって味見する。入れ物のデザインが似ていたので同じ味を期待していたのがが、スープの味が薄くてグリーンピースが入っている。俺の口にはあまり合わない。シャワーを浴びて寝る。ここでも、ニューヨークのユースと同じく浴槽はない。お風呂にどっぷり浸かりたい。

1月17日

 朝9時頃にユースを出てミュージアムに向かう。前日に食堂で出会った日本人にもらった地図を見てアメリカンヒストリーミュージアムに着いた。ミュージアムとは歌って踊る所かと思ってたけど、それはミュージカルだと気付くのに少し時間がかかる。博物館・美術館をミュージアムという。

 入り口を入ると警備員止められて、IDを出せと言われた。最初何を言っているのか分からなかったが、「テン、ノォクロック」は理解できた。10時が開館時間のようだ。

 ワシントンモニュメントのふもとまで来てぶらぶらしてると、塔の下から人がたくさん出てきた。その中に入って頂上の展望台までいけるらしい。早速近くにあるチケットセンターでチケットをもらって塔まで戻る。なんとタダ。ワシントンにあるほとんどのミュージアムは無料で開放されている。なんていいところだ。

 頂上まで登るエレベーターには多くの中国人がいた。同じアジア人なのだが少し違うので分かる。夏になると多くの観光客でにぎわって相当待たされるらしい。冬は待たなくていいからいい。頂上の景色は絶景だった。映画フォレストガンプで使われたリンカーンメモリアル前のプールは凍っていた。

 その後アメリカンヒストリー館に行って見物する。そこではアメリカの歴史が紹介されて、インディアンの歴史やコンピューターや産業の発達を見ることが出来た。とても大きくて1階部分を回るだけで足がつかれた。ぶらぶらしているとグレイハウンドバスで出会った日本人にまた出会った。ちゃんとユースに泊まれたそうだ。その人がホワイトハウスを見物しに行ったらツアーが12時半だと言われて時間つぶしにここに来ているという。一緒にホワイトハウスに行くことになった。

 12時に入り口前着くと何十人も並んでいた。入場が始まってぞろぞろとみんなが中に入る。空港並の荷物チェックを受けて通される。写真は撮っては駄目だそうだ。かっこいいスーツを着たガードマンが真剣に警備している。

 ホワイトハウスの中は美術品だらけ。赤の間、青の間、黄色の間緑の間があってそれぞれの色で椅子や床や壁などが統一してあってすばらしいの一言、特にちょっとしか覗けなかった図書室はなんだか絵を見ているみたいにちょっと現実離れした美しさだった。こんな所に大統領が住んでいるなんて信じられない。でも半日ぐらいは一般に公開されていているので実際住んでいるのかどうか・・。 【内部の地図】


 ホワイトハウスを出れば敷地内でも撮影が許可される。出たところでみんなが記念撮影している。そこでもう一人と一緒に写真を取り合った。そこに一人同じ年代の日本人がいたので声をかけて一緒に食事をしようということになってマクドナルドに行った。その人は一泊70ドルのホテルに泊まっているという。リッチやなぁ、俺なんか16ドルの相部屋なのに。食後みんなと別れる。一人旅をしてる連中は一人が一番好きだ。


 それからフォレストガンプで使われたプールの向こうがわのリンカーンメモリアルに行く。多くの人がランニングをしている。
リスがたくさんいてかわいい。ワシントンのリスは特に人慣れしているそうだ。

 ユースに帰ったら、エレベーターの前で日本人らしい女の人と出会って声をかけた。日本人だったのでとってもホッとした。ユースの中で夕食を一緒にしていろいろ話を聞くポスタルミュージアム(郵便博物館)とホロコーストミュージアム(第2時大戦のユダヤ迫害歴史)のが面白いそうだ。同じテーブルにその人の女友達(ここで知り合ったそうだ)が2人いて一人はインドの新聞社に勤めていて仕事で来たそうだ。もう一人が白人のおばちゃんでこの人はクリントンの就任演説を見に来て、ホテルを探したけれど満室だったのでここに来たという。通りにパレード用の椅子が並べられていたのはそのせいだった。俺はタイミング良くクリントンの演説が聞ける日に来たわけだ。

1月18日

 ナショナルモールという広場の周りにミュージアムがたくさん建っている。そのあたりはとても治安がいいようだ。クリントンの演説がある前の日にはお祭りみたいなのがあってその広場にたくさんテントが並べられてロック歌手の公演や地元小学校の合唱などをしている。

 そのテントの一つに最新のコンピューターテクノロジーを紹介するところがあって、ヤフーのブースではインターネットが体験できる。これは好都合だ。早速ノンカウルの掲示板にアクセスして書き込みをする。そのときだけはアメリカにいても日本にいるような感じがする。でも相変わらずローマ字だけしか使えない。

 エアーアンドスペースミュージアムに行ってきた。そこでは飛行機の誕生から宇宙への進出まである。疑似飛行機を操縦したり、圧力の実験や浮力の実験など体感しながら航空力学を学ぶことが出来る。日本にもあれば理科好きが増えるに違いない。そこでまた昨日の70ドルのホテル男に出会った。日本人は他にいないんだろうか、見かけるのは顔見知りだけだ。その人に聞くとここには広島に原爆を落としたそのB29が展示されているという。早速一緒にそこに行った。

 尾翼や胴体、機首が別々に切られて置いてあった。大きすぎてとてもじゃないが全体は入らなかったようだ。立ち止まってじっとして「こいつかぁー」と思いながら見ていた。テレビや新聞で日本で聞いていたとおり、最初は被爆した人々の写真を展示するそうだったが、退役軍人らの反対のためにその写真は無かった。しかし、それがアメリカ国内で物議を呼んでその事はほとんどのアメリカ人が知ったことなのだから展示されることは有意義だと思った。もう何十年かしたら確実にすべてを展示するだろう。

 近くの一番古そうなお城みたいな建物はスミソニアン博物館のインフォメーションになっていた。ここに来て初めて知ったのだが、スミソニアン博物館は1つじゃなく、20以上ある。そのほぼすべてが無料だ。一つの建物をじっくり見るだけで半日はかかるのに、とてもじゃないが全部見ていられない。

 ユースに帰って今度はキッチンで日本人風女の子がいて、「これは確実日本人だろう」と調子に乗って「Are you nihonjin?」と聞くと「いいえ、韓国人です。」と、実に普通にナチュラルな日本語で返ってきた。どきどきしながら、「日本語うまいですね。」というと「福岡に2年住んでいるんです。」なーるほど、それで日本人そっくりなわけだ。そしてその娘は韓国人の集団らしいテーブルに行った。デイビーさんの前の夫を紹介された時以来の驚きだった。

1月19日  FBIの内部をみるツアーがおもしろいと聞いたので行ってみたらクリントンの演説の前日の理由でツアーは中止だった。でも演説のあるキャピタル(連邦議事堂)は入ることができた。その中はほとんど自由に見学ができる。美術品といえるほどの壁画が見事でレトロ趣味の人でなくてもここが凄いことが分かる。天井はアーチ型で廊下の壁画だけ見ても価値はある。中はとても広いので迷いそうだ。地下には合衆国が、自治州が合わさってできたものだと分かるように、アメリカ合衆国以前にそこを納めていた領主の像が並んでいた。その中にはカメハメハ大王もいた。

 その後美術館を転々としたが、美術のことはよく分からない。  ユースに帰ると2人日本人がいたので友達になった。2人は一緒にアメリカにきたのだが、一人旅が好きで別行動しているそうだ。ユースしか使っていないのでよく出会うそうだ。1人はクリントンの演説を見ずにニューヨークに向かうはずだったが、俺と同じくクリントンの演説まで待つことを決めた。

 その夜就任演説の前夜祭よろしく花火が打ち上げられた。キャピタルやワシントンモニュメントを背景に打ち上がる花火はとてもきれいだ。

1月20日

 チェックアウトを済ませて荷物をカウンターに預ける。クリントンの演説ツアーがユースから出ていたので、日本人2人と一緒に指定時間にロビーに集合してみんなについていった。ツアーといってもとてもいい加減で、南部出身と思われる歩行速度の遅い人の集団と北部出身と思われる速い人たちに分かれてしまった。最初は20人ぐらいいたのに、キャピタルの前に着いたときには7人程になっていた。ツアーなんて言えたものじゃないな。タダだからいいけど。結局日本人3人で見ることになった。

 目の前に簡単なフェンスがしてあってそれ以上進むには事前にもらっておいた整理券を持っている人しか入れない規則になっている。出入り自由なところからは演説は遠くて見れない。

 人が集まるにつれて近くで見たい人が騒ぎ出してフェンスを倒してしまった。どんどん人がフェンスを踏み倒して進んでいく。俺達もこれ幸いと進んでいった。でも結局もう一つフェンスがあってそこで警官に止められてそこで止まった。それでも警官の目を盗んでフェンスを乗り越えた人もいた。

 演説が始まった。でも声は聞こえるけれども姿が見えない。双眼鏡でも持ってこないと無理だ。さらに英語だけなので退屈になった。そこで、その後のパレードの為に場所を確保しておこうとなってそこから離れる。コンクリート製の腰の高さぐらいのフェンスがあったのでその上を陣とる。

 2時間経過してもパレードは始まらない。でもいい場所を譲りたくないので、そのままいつ始まるか分からないパレードを待つ。道では警備の警官が立ち話ししたり、時々大声で笑っている。ハーレーの白バイが結構うるさい。ピエロが沿道で待つ人々を退屈させないように芸を見せたりしている。

 結局3時間以上そこで待って、警備が警官から大統領警備隊らしき人達にバトンタッチされた。この人らは石のように微動だにしない。表情もどこかぴりぴりしている。さすがやなぁー。

 するとパレードが始まりだした。白バイや騎馬警官の集団がきちんと整列して走った後リムジンが走ってきた。その周はボディガードが何十人も取り囲んでいる。
窓が閉まっていたために顔は分からなかったが、みんなが騒ぎ出したのでたぶんクリントンだろう。そう思いシャッターを押す。でもその後にも同じような車が流れてきて下にいたアメリカ人が自分たちにあれはクリントンなのか?と聞いてくる。「ゴア(副大統領)、ゴア」と言ってあげた。本当は全然分からなかったけど。

 想像してたよりあっけなかったので疲れたので帰った。荷物をユースに取りに行ってグレイハウンドターミナルに行く。次の目的地はアトランタだ。アトランタの発音は難しいので注意が必要だ。片手に地図を持ってここに行きたいといってチケットを取って夕方のアトランタ行きバスに乗る。

 初めてのバス泊だ。バスの中で寝ると一泊分の宿泊代が減るので便利である。でもあまりリクライニングしないシートだし、赤ん坊が夜中に泣いてとてもうるさい。持ってきた耳栓をして、空気枕を膨らます。トイレ・食事休憩が3時間に1回ぐらいある。トイレは車内にもあるが、汚いので小用だけがいい。


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