こころに刻む 自覚の旅 遍路旅

遍路を思い出す句(自作)

追いつけ追い越せ 仁王も笑う 初遍路

 初めての遍路では自分に適したペースも分からないのでどうしても人の歩いている速度が気になってしまう。そんなことをしていては疲れがどんどんまして辛い旅となってしまうのだ。
 自分のペースを見つけて、「追いつけ追い越せ」などどうでも良いのだ。
 俺は自分のペースを見つけるのに2週間以上かかった。自分のペースを見つけるには一人で歩くのが一番良いだろう。気を使わないからね。

 

豆大将 お前といるのも 今日までぞ

 2月28日51番札所「石手寺」に到着して前半の旅を終えた。
 足のまめは、もう固くなり汁は溜まっていない、最初の頃は苦労したものだった。
 それがふだんの生活に戻ってしばらくすると消えて無くなるのだろう。
 遍路の証ともなった足のまめ。なくなると寂しいなぁ。もっと一緒に居たかったよ。

 
 
 

より自覚・発見した言葉

幸も不幸もこころ一つの置きどころ

 道ばたであたたかいお茶をもらう。それだけで幸せだなぁ。
 寝るところがみつかる。それだけで幸せだなぁ。
 あたたかいご飯を食べる。それだけで幸せだなぁ。
 おてんとう様が顔を出した。それだけで手を合わせたくなるほど幸せだなぁ。
 この心、どんな贅沢な暮らしに囲まれても、どんな不幸に見舞われても、わすれまいぞ。
 「相田みつお」の「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」と書いていたが、これも同じ意味。

 

小欲知足、質素無欲

 この言葉は空海(弘法大師)が辺土旅(衛門三郎によって四国88カ所が生まれる前は遍路のことを辺土と呼んでいた)のときに使った言葉である。石手寺にあった冊子に書いてあった。
 少しの事で心が満たされると知る。いい言葉だ。贅沢の限りを尽くしても幸せは手に入らない。
 お金で全てが手に入る。お金さえあれば幸せになれると思っちゃいけない。
 

 

歩き遍路は最高の贅沢

 歩き遍路で結願するには45日ぐらいかかる。車だと10日ぐらいで済む。
 今の世の中は10日ならなんとか休むことが出来ても、45日も休むには相当の覚悟が必要となってくる。車の人も「本当は歩いて回りたい」と言う方がいる。だが休みが取れないのだ。
 そんなとき、俺はなんて贅沢をしているんだと感じる。たとえバス停で寒さに耐えながら野宿していても。

 

忙しい、と云う字は「心」が「亡」くなると書く

 心当たりがありませんか?
 銀行、スーパー、駅の窓口、忙しくないときには笑顔でいろいろ親切にしてくれるのに、忙しくなると機械的に仕事を効率よくこなすことが優先してしまう。
 それは心を大切にしているお寺でも同じ事、観光客の大勢おとずれる納経所では訪れた人と会話をせず、ロボットのように仕事をこなす人が多い。暇そうなお寺ほど親切な方が多かった。
 でも人気のお寺の中にもしっかりと笑顔で心を亡くならせずにしている方々がいる。そんな人は素晴らしいと思う。ご住職もきっと素晴らしい人なのだろう。

 それにしても、漢字を考え出した昔の中国人は素晴らしいと思いませんか?

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