こないだのお盆休みに高野山YHで2泊しお墓の参道に10万本のろうそくを立てまくる「ろう
そく祭り」を見、天河神社で
俳優志望の女の子の正式参拝を眺めた(突然神前でオーディションみたいにドラマの台詞を女の子が言わなければならないはめになったのに驚いた)天川神社は
芸能の神様で有名。
そして熊野大社、伊勢神宮と行って帰ってきた。
わが愛車はなかなかなもんだ。帰りは伊勢神宮から高速道路と徳島〜和歌山のフェリーを使って450km以上走ったが疲れがほとんど無い。
例のごとく旅の写真を載せるところだが、やっちまった。
デジカメのメモリーが家に持ってかえって「さあ、パソコンに取り込もう」という段階でメモリーがクラッシュ!
うちのバイクを初披露目だったはずだったが・・・・・
それはまたの機会に
今治まで夜に愛車で走ってきた。
ようやくバイクの写真を紹介
YAMAHA T−MAX 500cc
ビックスクーターって奴です。
これは菊間町にある太陽石油の製油所だ
この少し松山よりに自動販売機のうどんがあって、それがなかなかうまい。
コインを入れて数十秒待つと温かいうどんが出てくる。
麺も出汁もたいしたものじゃないはずなのだが、そのバランスが絶妙なのと海を眺めながら夜の潮風に吹かれるとこれがまたうまいんだな。
わざわざ松山から真夜中これを食べに行く人を多く知っている。
さきごろ、デジカメのメモリーが壊れてしまったとの事でしたが、修理に出したら直ってきまし
た。
データも復活です。
とりあえずお気に入り一枚をUPします。
これは、たまたまでくわした高野山のろうそく祭りです。
辺りはお墓だらけですが、10万本のろうそくで神秘的でした。
中心の2人だけ顔がぶれていないのはちょうど2人の親族らしい人がシャッターを押す瞬間だったためにうまく撮れました。
別に狙ってたわけではありません。たまたまこうなったのです。
左のうちわを持っている人もGOOです。
ろうそく祭りの先頭をゆく大たいまつ
これで念願だった伊勢うどんと、味噌煮込みうどんを食べた写真も復活したのでまた載せます。
旅情報の追加である。
伊勢地方の人は変わったうどんを食べるらしい。
まずは味噌煮込みうどんである。
日頃から小食に努め、肉卵はおろか海鮮ものまでほとんど食べてなかったのにこれを食ったのである。
しかもこの時期に。950円でおにぎり付き、もんすご腹いっぱいなりました。
持ってくるときは土鍋からぐつぐつぐつぐつ泡だっておりました。
味は辛く、冬のもんです。
こんなの夏に食べているのは変人です。
もうひとつこれを伊勢に来て忘れてはならないのが
伊勢うどん
うわさに聞いてたすごい奴なのだ。
なんせ作り方はうどんを釜に入れて長ければ何時間もゆがいてぶくぶくに麺をふくらませてそれに甘辛いタレをかけて食べるというのである。完全に讃岐うどん
の対極をなすものなのだ。
これがそう、思ったよりもふやけてはいなかったが甘辛い醤油(たまり醤油とみりんとだし)を混ぜて食べる温かい麺だ。
思ったほどはまずくなく、主食にはならないだろうと思っていたがなんとか大丈夫そうだ。
伊勢辺のうどん屋にはどこでもあるらしい。
今日は待っていた圧力鍋が届いた。
平和圧力鍋である。
これをどうするのかというと、
商品にして売るのである。
値段は少々高いですが、これを使えばうちと同じ玄米ご飯が食べられます。
6リットルと4・5リットルがあり
6リットルが25000円、4.5リットルが20000円です。(平和圧力鍋は電磁料理器が使えません)
おいしい玄米ご飯を炊くにはマグナ石2800円も必要です。
このマグナ石は遠赤外線効果などがあっていつまでも半永久的に使え、手入れが簡単、水を浄化し玄米の吸水力があがります。
白米にも煮物にも使え、ご飯が輝いて香りもすごくよくなります。炊く時間も短くなり、エネルギーの節約になります。
うちも3年ぐらい同じのを使っています。備長炭のように使い捨てではありません。
玄米ご飯の作り方は責任を持って教えますので安心して購入してください。
玄米ご飯を炊く以外にも大変便利ですので使ってください。
平和圧力鍋は昔から玄米ご飯を炊くのに最も人気のある鍋です。信頼できるメーカーなので一度買えばかなりの間食生活のお役に立つでしょう。
おかげまさで、お盆のもぎたてTVが効いたのか毎日のように行列はでき、3時の終了時間まで
に玉切れになるようになった。一部のお客さんには玉切れのためにご迷惑をおかけしている。でもよく売れるのは嬉しいかぎりである。
前からゴマをよく食べていた。テーブルにおいてある煎りゴマを手に取りそのままむしゃむしゃと食べるのである。多いときは1カップ以上も食べてゴマでお腹
いっぱいになる。それほどのゴマ好き。
そしてあらたにゴマ豆腐に目覚めてしまった。高野山にお盆に行ったときにゴマ豆腐で有名なお店があって本物のゴマ豆腐を食べたら自分でも作りたくなってし
まった。
そして作ったのだ。
原料は水とゴマと葛粉である。
洗いゴマを炒って水とあわせてミキサーにかけ、葛粉を混ぜ、鍋で弱火でかき混ぜてくると固まってくる。それを型に入れて冷蔵庫で冷ませばできあがりであ
る。
刺身醤油とわさびでたべる。
これがうまい。
今日からゴマ豆腐をもっとおいしく食べるために、ぼりぼりとそのまま食べるのを自粛しようと思うのであった。
今日は玉切れであったのでまかない用のうどんをゆでてみんなで食べた。
まかない用のうどんは近くのスーパーで買ってくる。
最近は手延べそうめんばっかりだったのであるが(手延べそうめんで作るひやひやは絶品)、秋になってきたのでそうめんはやめてうどんにしてみた。今日食べ
たのはマルナカで買ってきたサンヨーフーズの半生うどん
細いが腰があってやわらかく実にうまい。これなら醤油うどんにも合いそうなぐらいであった。
お勧めだから買ってみて。
P.S
今日平和圧力鍋4.5リットルを買ってくれたお客様方へ
この圧力鍋で5合ぐらいで炊くのなら内鍋を使わずに講習会どおりにやってもらって大丈夫だと思います。
2合ぐらいの少量で炊く場合には内鍋を使って内鍋と外鍋の間に規定量の水を入れ、玄米2合と水2合を内鍋に入れて加圧時間蒸らし時間も少し長めでやってみ
てください。私も同じ鍋で少量で試してみます満足した具合に炊けたら又お知らせします。
努力や頑張りは一見美しい言葉と思っていた。最近までは。だがそうではないようだ。
頑張る、努力するは自己否定から生まれたものだ。
自分にはこれが足りない、ああしなければならないなどなど自分を否定している。
自己否定というのは実に厄介なものである。自己否定から得たものは自分に害をもたらすのだ。
ただし笑顔で頑張ってたり、笑顔で努力している場合には違う。それは今を楽しんでいるから。
苦しみから生まれたものは苦しみしかもたらさないという言葉がある。納税者番付でいつも上位で有名な丸漢の斉藤一人さん風にいえば、メロンの種をまけばメ
ロンができる。スイカの種をまけばスイカができる。苦しんで考え出された商品というのは苦しみしかもたらさない。だからうちは楽しんでやっている。だから
効果があるし喜ばれる。
現代、行いの結果がますますスピードアップして得られるようになってきた。
最近のニュースを見ればよくわかる。l
時代の移り変わりのスピードがますます加速している。
だから否定的な思いを持っているとあっという間に否定的な結果を受けることになる。
逆に、感謝したり楽しんでいる人はあっという間に成功を手にしている。
そんな例は数え切れない。
今まで先生、親などに「がんばれば楽ができる」と教えられてきたのだがそれはまったく違う世の中になってきたようだ。
友人にうどん講習会の日付を勘違いして15日にあると言ってしまった。まったくぼけたもので
ある。その友人がその日の朝10時に電話してきてそれでようやく気が付いた具合であった。気づいたときにはすっかり四国カルストで友人と牛とたわむれてい
ました。ごめんなさい。
四国カルストをご存知でない方に説明すると四国山脈の中心、松山市から2時間半ぐらいのところにそれはある。標高は1300mぐらいあるので肌寒かった。
新しく風車が2機できており、ぶんぶん回っていた。そんなところがキャンプ場になっているのだがそんな風ふきっさらしの風除けのまったく無いところでテン
トを張る勇気は今のところ無い。
今回はそこでうどんを食べるのがメインだった。前に行った時はうどんの中にゆずの皮が入っていてなかなかおいしかったのだが、今回は無かった。だけど冷え
た体にはやはり温かいうどんがいいなぁ。ここではどんなにおいしい醤油うどんを作ってもライダーには人気ないだろうか。
カルストというだけあって草原と岩と牛ばかりである。九州のカルストとくらべると規模はぜんぜん小さいがバイクでの途中の狭路、ヘアピンカーブ連続はなか
なか楽しいものである。(バイク暦の浅い友人は初コケしちゃって災難だったが良い教訓になったようである)。
この頃ある本を熱心に読み始めた。
それは
さくらももこさんが絵を描いているエンリケ・バリオスというチリの人が書いた
アミ小さな宇宙人
ここで買えるよ。レビューもある
である。俺にはぴったりはまってうなづくことばかり、外国人作家コーナーに行けばたいがい3冊まとまっておいてあるよ。
テーマは宇宙人と神と愛について書かれてある。地球侵略を企てる宇宙人の話はいくらでもあるが、こういった本は初めてお目にかかった。実話なのか心温まる
ファンタジーなのかとにかく見てもらいたいなと思う。子供向けにほとんどの漢字にふりがながふってあるのだが内容はするどい。大人が読んでもぜんぜん大丈
夫なのだ。
青年海外協力隊で中米ホンジュラスで活動中の友人がいる。
彼女はHPを更新したいがどうもできないらしく協力することになった。
だから代理アップすることにしました手紙をそのままスキャナーで読み込んでいるので見にくいですがどうぞ見てあげてください。
もしかしたら日本に住んでいる現実が今までと違って見えるかも。
ついにきたホンジュラス
とうとうおでんの肉もやめることになった。
どんどん玄米菜食がなじんできて、ひじき、こんぶと大豆の佃煮、ゴマ豆腐作り(作り方あります)を熱
心にしている。体のほうはすごく順調である。
俺はそれを腹いっぱいに食べてしまう。ヘルシーの大食いではと思ってしまう。
だが体重はぜんぜん増えない。
肉を見ると食欲をなくしてしまう。
やはり肉食は良くないのだろう。だからおでんの肉を売るのが引っかかっていた。
このまま体に悪いと分かっている肉を自分は食べないのに人に売るというのは誠実さに欠けるのではと。
良い親というのは自分が悪いと思うものを自分の子供にはさせないようにするものだ。
ただし自分がそれは悪いと思っていながら例えばタバコを自分が吸っていて「子供は吸うな」というのも誠実さに欠ける。
お客さんの体を壊してもいいから儲けが大事とは思っていない。お客さまは家族です。
食という字は「人」と「良」に分けられる。
食事とは「人を良くする事」と思っている。なおさら食事には誠実さが要求され
るというものだ。
誠実さは愛である。
口では世界平和を熱く語りながら、地雷や戦闘機を売っているのはまったく誠実さも愛もないというものだ。
だから肉売るのやめた
多少肉を食べても健康には影響しないよ豚とか鳥とか、という人もいますが反論しません。
体に悪いというのは信じなくていいです。もう、ぜんぜん信じなくていいです(笑)
だって自分の中では確信しているんだから。
同じ意見の仲間がいないと不安だとかぜんぜんおもっておりません。
それに、アメリカでも日本でもいい、どちらかが肉食をやめれば世界の飢餓は一瞬のうちに無くなることは確かです。
日本は本当は食料を輸入しなくても足りています。全世界で見ても本当はすごく余っているのです。
肉食は世界中の飢餓、貧困、暴力の原因ともなっているようです。肉10kg作るのに100kgの作物が必要だしその作物を育てる水は莫大です。
ちなみに卵と魚はほんのすこーし食べてます。
さすがにうどんのだしをとるのに魚は必要だしなぁ。炭火で焼いた鮎をみるとよだれ出てくるもんなぁ。
直感について
ま、へりくつかもしれませんが、直感で決まって理屈なんかあとでついたようなもんなんだから、へりくつに聞こえてもしょうがありません。
でも直感はいつも正しいんです。だれでも。もし失敗してもそれが経験となって次の直感に必要となるデータを蓄えているんですから。
思うに、子供はなぜ学ぶのが早いのかというと、考える前に直感で行動しているからなんです。よく失敗もします、それでいいんです。
大人になると考えることを覚えてしまい、直感を信じなくなります。それは痴呆の始まりです。直感を信じなくなると脳細胞どんどん切れちゃいます。
だからといって考えるなというわけではありません。バランスです。
直感は感性です。右脳と言われています。理性は左脳にあるといわれています。
昔は感性に聞いてみることを「胸で考える」「胸に聞いてみる」と言ってました。さきに紹介した「ア
ミ小さな宇宙人」のなかには人間には脳が二つあって頭と胸にあるという言葉がありましたから昔の人が言うことも当たっているのかもしれません。
その両方のバランスがとても大切です。
理性というのは「あれは大きいのか小さいのか、強いのか、何色なのか、儲かるのか、便利なのか」などと大部分自分の外側にある現象に使っていますが、ほと
んど中に向かって使っていません。
中に向かうとは自分はどんなことを考えているのか、今の驚きはどうしてだったのか、この悲しみはどこからやってくるのか、今の私は嬉しいと感じている
なぁ。第三者になった気持ちで自分を観察するという事、哲学者やお坊さん、詩人みたいな感じです。
それができるようになると、感性をコントロールできるようになるわけです。
理性と感性のバランスが悪いとヒステリーやうつになったり、笑わず、石のように冷たい人になっちゃいます。これではほんとうの幸せはめぐってきません。
って話がずれました(^^;
(私は幸せ論が好きなんです)
今この一瞬が全てを変える力を持って
いる
日記整理しながら4月2日の誕生日の事を書いたのをちらりと見て驚くべきことに気が付いた。そうたった1日の生まれた日の違いで1学年違ったのである。
そんなの当然じゃないかと今まではただそう思っていたのだが、今気が付いた。そこに大きな力があったことを。
たった一日早く生まれていれば、今までの人との出会いがまるきり違っていたというのである。
同級生全てが別人になっていたということだ。
一日違いで人生にどのような影響があったのか?
先生も親友達も会社の同期だった人々も全て違うのである。ということは考え方も違っていたかもしれない。「ありがとう」の話も聞くことも
無く、うどん屋をやっているかどうかさえ分からないのだ。まったくの予測ゼロ。
じわじわーっとすごいことだなぁ〜って浸っております。
この今の一瞬の決断は後にどれほど影響あるのかまったく分からない。
でも常に心に後ろめたいことをまったく感じないような選択をしていこうと益々思いました。
直感についての追記
直感について前の日記に書きましたが「神との友情」を今朝読んでいるときに偶然(偶然はないのですが)
直感を否定するたびに わたしを否定している
という言葉に出くわしました。
これを書けという直感が働きましたので載せます。
「神
との対話」「神との友情」はおすすめ本です。