神との友情(下)98P

自然な自己は邪悪で、飼い慣らし、抑制し、従属させなければならないものだ、と信じてきたからだよ

。だから、自然でない「通常」の行動をするように、そこからはずれないように要求されてきた。「自

然」であることは罪で放埒(ほうらつ)で、危険でさえある悪だ、とね。「自然」のままの自分を見せ

ることですら(裸を見せること)、悪だと言われてきた。
あなたがたの多くが抑圧しようとする自然な部分は、それだけではない。
真実を語ることでさえ、非常に自然なことなのにやめさせようとする。
宇宙への基本的な信頼も、非常に自然なことなのにやめさせようとする。
歌うこと、踊ること、喜び祝うこともやめさせようとする。
あなたがたの身体の骨の一本一本が、真の自分という純粋な驚異に爆発したくてうずうずしているとい

うのに!
なぜ抑圧するかといえば、自然な性向に「まかせたら」傷つくのではないか、と心配だからだ。そんな

不安を感じるのは、人類は基本的に邪悪だという「支える思考」があるからだ。自分たちは「罪を負っ

て生まれた」から、もともと悪だと想像している。
これは、あなたがたが自分たちにくだした、最も重要な決定だ。あなたがたは自分たちの現実を創造す

るから、この決定が現実になった。まちがっていると思うのはいやなので、自分たちが思ったとおりに

なるようにと、あなたがたはひたすら努力してきた。人生を見て思ったとおりだと考え、それを文化的

な物語にしてきた。ほらやっぱりそうだ、とあなたがたは言い、そう言いつづけることで、それを現実

にしてきた。
その物語を変え、自分たちについての考えを変え、人類という種についての考えを変えなければ、全面

的に愛することすらできないから。
それが全面的に愛することの第一歩だ。自分自身を全面的に愛さなければいけない。罪を負って生まれ

た自分は基本的に邪悪だと考えているかぎり、自分を全面的に愛することはできないよ。

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